
詩 お母さんの覚悟
『If I could へのオマージュ』
お母さんに言えなかったこと、隠していることってある?
なぜ、言えなかったの?
それは、お母さんに怒られたくなかったから?
それが、悪いことだって自分で気づいていたから?
悲しませたくないから?
でも、誰にも話せず、一人で耐えて我慢して、
押しつぶされて、下しか見れず、
そんな君を見てるのが、きっとお母さんは一番悲しい
お母さんはきっと覚悟ができてる
どんな君であろうとも
君を守るのが、人生の使命だと
だから頼ってみよう、お母さんに打ち明けてみよう
きっと、怒らないさ
君が必死に言葉を探して、伝えて
お母さんはじっと聞いてて
一緒に泣いてくれるだろう
君がわんわん泣き続けて、
そしてお母さんは、君の肩をさすって
君の好きな食べ物を与えて
前を向ける方法を一緒に考えてくれるだろう
お母さんは知ってる
君の悩みを解決する方法なんて持ってないって
だけど、お母さんは覚悟ができてる
生きてる限り、君の味方でいると
だから、君もそこからまた歩き出そう、幸せに向かって
ーー
生きていくには、誰だってお母さん、お母さんみたいな存在が要るよねー☆
全米プロ"涙の覇者"を支えた壮絶な「母の愛」
(2015年 ロイター/Thomas J. Russo-USA TODAY Sports)
ジェイソン・デイがメジャー記録の通算20アンダーをマークし、メジャー初制覇を果たした
「もしも、あのとき父が死んでいなかったら、今日のこの勝利はなかった」
今年の全米プロを通算20アンダーというメジャー4大会史上のベストスコアで制覇したジェイソン・デイが口にした言葉だ。
「父が死んだとき、ひとつのドアが閉まった。でも、そのあと、別のドアが開いた」
母も姉たちも犠牲を払ってくれた
オーストラリア人の父とフィリピン人の母の間に生まれたデイは、2人の姉にも可愛がられながら、幸せに暮らしていた。経済的には決して豊かではなかったが、父親がゴミ捨て場に置いてあったゴルフクラブを持ち帰ってきたそのときから、父と息子の楽しい競争が始まった。
「どっちが先にうまくなるか競争だぞ」
父と一緒に夢中になってゴルフクラブを振った日々は、がんと診断された父親があっという間にこの世を去ったとき、突然、終わってしまった。そのとき、「ひとつのドアが閉まった」。
まだ12歳だったデイ少年は父の死という現実を受け入れられず、学校に行けば殴り合いの喧嘩をして、夜な夜な悪友たちと飲酒に喫煙。荒れた日々を過ごした。
「でも、ゴルフが盛んなボーディングスクール(全寮制の私立学校)のことをどこかから聞いてきて、そこに行きたいと言い出したのはジェイソン自身でした。もちろん、あの子は、その学校の学費がどれほど高いかは知りませんでしたけど」
デイの母デニングは、当時のことをそう明かしてくれた。
「あの子自身、立ち直りたいと思っていた。だから私は、そのためにできることなら何でもしました」
母は家族4人が住んでいた家を二重抵当に入れてまで、デイの学費をひねり出した。
「そのために僕の家の生活はとても貧しくなった。壊れた芝刈り機を直すおカネがなくて、母はナイフで庭の芝を刈っていた。湯沸かし器がなくて、やかんで沸かしたお湯がシャワー代わり。母は3つも4つもやかんを持ってきたけど、ひとつのやかんのお湯が沸くまで、5分も10分もかかって……。母も姉たちも、たくさん犠牲を払ってくれた。そのおかげで僕はボーディングスクールに行けた」
寮生活の中でゴルフの腕を磨き、そこでコーチをしていたコリン・スワットンと出会い、そのスワットンがそれからのデイの父親代わりとなり、今でもデイの相棒キャディだ。
いろんな人々の助けを得て、プロゴルファーになり、米ツアー、そして世界の舞台へと飛び出していったデイ。もうひとつのドアは、そうやって開いた。
受け入れ難かった父の死。度重なる惜敗。辛いもの、苦しいものを糧にして前を向いてきたデイ。その姿勢が、彼をついにメジャーチャンプへと押し上げた。
優勝したデイが、世界のメディアの前で、ドアの話を始めた。
「父が死んで、ひとつのドアが閉まった。そして、もうひとつのドアを開いてくれたのは、僕の母……」
笑顔で饒舌だったデイが「my mom……」と口にした途端、声を詰まらせた。
昨年暮れ、筆者はデイの母デニングを訪ねて、オーストラリアのブリスベンへ行き、息子を想う母の気持ちを聞かせてもらった。
デニングはメジャー大会はおろか、デイが主戦場にしている米ツアーのレギュラー大会でさえ、じかに観戦したことは「一度もない」と言った。
「首を長くして待っていました」
息子のウイニングウォークを目の前で見たくはないのか。ウイニングパットを沈めた瞬間、祝福のハグをするのが楽しみではないのか。そう尋ねると、「それは、もはやジェイソンの妻の役目。私はジェイソンが、ただ健やかでいてくれたらそれでいい」。
夫の死後、すでに40歳を超えてから初めて運転免許を取り、いくつもの仕事を掛け持ちながら必死に働いて3人の子供を育て上げた。そして不良化していたデイの「別のドア」を開いて世界へと送り出したデニングは、その息子が高額賞金を稼ぐトッププレーヤーになった今でもコツコツ働くことを止めてはいない。
「あの子がメジャーで優勝する日を、ずっとずっと首を長くして待っていました」
デニングからこんな言葉を聞いたとき、昨年暮れに会ったときの優しい笑顔を思い出した。
