座禅について考えたこと

座禅について聞きました。

座禅の目的は「無」になること。

一所懸命集中して「無」 になる。

でも難しいので、ビギナーは、まず音に集中することから始めるのだと。

そして、それは「閃き」の力が養われると。

私が、この話を聞いて考えたことは、

「閃き」とは「気付き」かな?と。

人が何かを理解する、定義するとき、
自分の考えを超えることはできません。
自分の考えを使ってしか、何かを理解、定義することができません。
これでは、自分の考えの枠を超えることはできません。

しかし、「無」になる訓練を積めば、
自分の考えを超える「閃き」で、
わからないことが、突然、分かるのかもしれません。

例えば、
自然とは何か?

理解、定義では、自分の考えを超えることはできませんが、
「閃き」から、思いもしない答えを出すことができるかもしれません。

いつも目にしている、感じている自然。
それは、自分の中に確かに蓄積されているのですが、
それを表す考えは持っていません。

しかし「閃き」は自分の中から生まれます。
たとえ、それが考えることから生まれなくても、
自分の中にある蓄積から「閃き」が起こります。

それは、自分の中にある何かを、
別の何かに apply することのように考えました。
それが、「気付き」です。

自分の考えではまったくつながっていない、無関係のモノ同士が、
無になることで突然 apply できる
それが「気付き」です。

自分の考えを無くして、モノを見れるようになること
そのモノに、何かを偶然のように apply できること
それが「気付き」です。

自分の考えを無くすことで、「気付き」を生むことができる。
今まで、自分の考えでは理解できないモノが、
「気付き」を得ることで、そのモノをありのままに受け入れることができるようになる
のだと考えました。

「無」になる
考えずに、apply できる。
ハッと、天から落ちてきたかのように「気付き」を得る
訓練を積んで、この回数、頻度を増やす。
この助けの一つが座禅のような気がしました。