私は愛に生きる、生きる意味、そして生き方、

あなたは、人生をどう生きたいか?

ある人は、考えてない、考えたこともない。
ある人は、他人や周りや世間が「ふつう、常識」と考える生き方を追い求める。
ある人は、お金をたくさん稼いで贅沢、華やか、人がうらやむ暮らしを求める。
ある人は、地位を求め、名声を求め、老いて死ぬまで、死んでさえも偉いと思われたくて。
ある人は、貧乏で死ぬことを恐れ、老後のためにお金をできるだけ稼いでおこうと焦る。
ある人は、子供を産み、育て、一緒に暮らし、子供に見守らて死ぬ、子と供の人生。
ある人は、芸術、スポーツ、趣味など好きなことをするために過ごす。

いずれにしても、「人生をどう生きたいか?」考えていないと、、、
いつも事件、出来事の度に選択、判断に迷い、悩むことになるだろう。

ある人は、「お金を稼ぐ」、そしてお金の心配を無くした上で好きなことをやる。

ある人は、「武士道に生きる」、現世の恩に報いるために肉体、精神、知力、時間を滅私する。

私は、、、
愛に生きる。
大したことない自分自身だから、できることと言えば、愛を与えること。
だから、できるだけ「誠実でいる、受け入れる、可能なことを渡す」。

私は、私なりの「人生をどう生きたいか?」を持っているから、
自分自身に誠実な限り、「人生を全うできる」。
私は、愛に生きる。

8年続いたドラマを見終わり、そして、なんとなく、わかった気がする。
(少なくとも、今のところは)

ここ最近ずっと考え、うすうすだが感じていること、、、
生きる意味とは、、、
、、、
あまり深くは無いのかな?
ということ。

自分の一生や、誰かの一生や、歴史の一生や、
それが連綿と続く何かはあるのかもしれないけど。

哲学的に、そして科学的に歴史的に宗教的にかなり考えた末の、
自分なりに辿り着いた今の答え。

ひとはそれぞれ。

バラやヒマワリやタンポポや、
バラがいくらヒマワリやタンポポにあこがれても
その花は咲かない、咲かせることはできない。

生きる意味とは何か?
ではなく、
生きることにこそ意味があり、
生き方を、その咲き方を修得することに意味がある。

ずっと考え続けていた「生き方」は、
きっとこれが答えだろう。
(少なくとも、今のところは)

生まれてからずっと生きていく中で、
たくさんのことを教えてもらい、
喜び、悲しみ、怒り、
そして学ぶ。

そして、最後に
自分の楽しい生き方を見つけ出し、
それを命尽きるまで続けていく。

私は、50年かかった。
そして、ようやく自分の楽しい生き方を、今、つかもうとしている。

生き方とは、
自分の楽しい生き方を見つけ出し、
それを最後まで続けること。

バラもヒマワリもタンポポも、
その楽しさを見つけ、死ぬまで楽しむこと。

未来の恐怖、お金の恐怖、安定の恐怖、変化の恐怖、備えの恐怖、
その恐怖を越えられる楽しい生き方を見つけ出すこと。

楽しいことをして、人に喜ばれ、大事な人たちと自分が死ぬまで楽しく生きる。
楽しく生きるとは、「自分が楽しくすることが、大事な人たちも楽しくなる」こと。
その生き方を見つけ出すこと。

生きることこそに意味があり、
遂に、あらゆる恐怖から放たれた楽しく生きる方法を
その生き方を、咲き方を見出すこと、修得することに意味がある。
楽しく、死ぬまで生き切ることに意味がある。