生きることが大事ならば
「生きること」それ自体が大事
いかに生きるか?
有意義な「生」って何だろう?
それが哲学です。
しっかり悩んで、自分にふさわしいテーマを見つけて下さい。でも、、、
もし、「生きること」それ自体が大事だとしたならば?
、、、
自分の親のことや、知人のことをかんがえるとき、
自分が明るく生きている「その存在自体」にも価値があることに気付かされます。生きること、それ自体が大事ならば、
今日、何か、軽やかに、楽しみに、ワクワクする。
軽い、軽い、軽やかな楽しみを持つことも、生きるために大事です。たとえ、人から「変な趣味、変わった興味」と思われても、
今日を軽やかに、ワクワク過ごせる楽しみを持ちましょう。さてと、、、
私の、かるい、軽やかな、楽しみってなんだろう?!
苦労はしても 笑い話に時が変えるよ 心配いらない
2016年11月12日
淡紅の秋桜が秋の日の 何気ない陽溜りに揺れている
此頃、涙脆くなった母が 庭先でひとつ咳をする
縁側でアルバムを開いては 私の幼い日の思い出を
何度も同じ話くりかえす 独言みたいに小さな声で
こんな小春日和の穏やかな日は あなたの優しさが浸みて来る
明日嫁ぐ私に苦労はしても 笑い話に時が変えるよ 心配いらないと笑ったあれこれと思い出をたどったら いつの日もひとりではなかったと
今更乍ら我侭な私に 唇かんでいます
明日への荷造りに手を借りて しばらくは楽し気にいたけれど
突然涙こぼし元気でと 何度も何度もくりかえす母
ありがとうの言葉をかみしめながら 生きてみます私なりに
こんな小春日和の穏やかな日は もう少しあなたの子供で いさせてください秋桜 さだまさし / 山口百恵
私は女性では無いのに、歌詞を読むと涙が出るのはなぜだろう?
結婚したときの自分の親の年齢は、もうはるかに越えてしまっているのに、
年下の人たちの話だと、冷静にわかっているのに、
それでも泣いてしまうのは?
日本人の、人間の、DNAだろうか?子供を育てる暮らしが終わるとき
ずっと働いた職場から去るとき
一緒に学んだ生徒がクラスから去るとき
楽しく過ごした仲間との一つの時間が終わるとき
そして、もちろん、あの人との時間が終わったときも別れは、辛く悲しく、ときには突き刺さり、えぐり取られるものだ。
別れは、あまりに辛いから、他人事でも共感して痛みを減らせればと願うのだろう。だけど、
上手く行けば、
意外と、子供はたまに帰って来て、ご飯を食べたり、
同僚と一緒にパーティをしたり、
生徒さんの少しは、また学び始めたり、
仲間からは季節の便りが来たり、形を変えた、新しい付き合いになっていく。
一つの形が終わり、変わり、新しい形が始まる。終わるその日まで、その人を大事に、丁寧に付き合うことができれば、
そして、いつもそれを繰り返すことができるようになれれば、
きっと、「別れは本当は辛く悲しいものではない」と気付けるのかもしれない。苦労はしても 笑い話に時が変えるよ 心配いらないと母も笑ってた。
別れは、ただ、
一つの形が終わり、変わり、新しい形が始まること。最後の別れが来る前に、ぜひとも学びたい大事な課題だね♪
(^_-)-☆

